雨の日になると、はる(陽)はベッドでうずくまることがありました。
「雨の音が痛い」
最初にそう聞いたとき、私は意味がわかりませんでした。
けれど、その表情は冗談でも甘えでもなく、本当に苦しそうでした。
この記事では、雨の音に苦しんだわが家の子どもに、親として何をしたか。
そして、少しずつ日常を取り戻していった過程を書きます。
同じように困っている誰かの助けになりますように。
雨の日、世界そのものが攻撃してくるようでした
はるにとって雨の日は、ただの天気ではありませんでした。
- 雨が路面を叩く音
- 水たまりをはじく車の音
- 車が風雨を切って走る音
- 雨でさらに大きく響くエンジン音
- 窓に打ちつける雨音
- 傘に雨粒が落ち続ける音
そのすべてが苦痛だったようです。
はるは、「僕を攻撃してくる」 と表現していました。
特に、傘に雨が当たり続ける音は「最悪だ」と言っていました。
その言葉を聞いて、私は初めて、本人にとってどれほどつらいのかを想像しました。
あんなに好きだった自転車にも乗れなくなりました
雨とは別の日でも、外の音がつらい時期がありました。
あんなに好きだった自転車も、
- 耳の横で風を切る音
- ふっと鳴る風の音
それさえ「痛い」と言い、外へ遊びに出なくなりました。
子どもから、逃げ場や発散する場所がなくなっていくようで、親として胸が締め付けられる思いでした。
最初にしたことは「慣れさせること」ではなく、逃げることでした
今振り返って思うのは、最初に無理をさせなくてよかったということです。
わが家で最初にしたのは、音から距離を取ることでした。
- ベッドで休ませる
- カーテンや雨戸を閉める
- 静かな部屋へ移動する
- ヘッドホンや耳栓を使う
- 安心できるぬいぐるみをそばに置く
「強くならなきゃ」ではなく、まず安心できる場所を作ることが先でした。
不思議だったのは、ゲームの音は平気だったこと
外の音には苦しんでいたのに、ゲームをしている時間は落ち着いていました。
機械音なのに、なぜだろう。
当時は不思議でした。
あとから知ったのは、音のつらさは音量だけでは決まらないということでした。
近年の研究では、音への苦痛は、
- 予測できるか
- 自分で止められるか
- 好きな音か
- 安心できる状況か
といった要素にも左右されると考えられています。
たとえば、突然鳴る音や止められない環境音は負担になりやすく、一方で、自分で選べる音や慣れた音は受け入れやすいことがあります。
はるにとってゲーム音は、
- 自分で始められる
- いつでも止められる
- 内容が予測できる
- 好きな世界に集中できる
そんな「安心できる音」だったのかもしれません。
回復は一気ではなく、少しずつでした
すぐに元通りになったわけではありません。
- 雨の日でも少し起きていられる日
- 外に出られる日
- 音がしても以前ほど苦しまない日
そんな日が、少しずつ増えていきました。
体も心も、時間をかけて慣れていったのだと思います。
親の私は未来ばかり心配していました
このままずっとこうだったら、この子はどうやって生きていくのだろう。
そう思って落ち込んだ日もありました。
けれど、止まっていられなかったのは、はる本人でした。
怖いはずなのに、少しずつ前へ進もうとしていました。
彼は、本当に強い子だと思います。
今、同じことで悩んでいる親御さんへ
子どもが「音が痛い」と言っても、周囲には伝わりにくいことがあります。
でも、本人にとっては本当に苦しいのだと思います。
- まず休める場所を作ること
- 音から逃げてもいいと伝えること
- 安心できるものをそばに置くこと
それだけでも、きっと違います。
ひとりで抱え込まないでください。
あの頃の私にも、そう言ってあげたかったです。
少しずつでも、変わっていくことがあります
あの頃は、雨の音にうずくまり、外へ出られない日が続くなんて想像もしていませんでした。
けれど今、はるは少しずつ良くなっています。
大きく何かが変わるというより、
- 昨日より少し平気だった
- 前より少し笑えた
- できることが少し増えた
そんな小さな変化の積み重ねでした。
もし今、出口が見えなくても、どうか希望を失わないでください。
子どもの力は、親が思うよりずっと大きい。
そして回復は、ある日静かに始まっていることがあります。
※本記事は、現在の医学的知見と専門家の説明、そして私が多領域を横断して学んできた理解にもとづいています。研究は日々更新されるため、新しい見解が示される可能性があります。