子どもの耳が痛いとき、耳栓はあり?なし?──聴覚過敏のわが子で試してわかったこと

「耳が痛い」と子供に言われたときに考えたこと

音が頭に響いて「耳が痛い」と言われたとき、
最初に思いついたのは耳栓でした。

少しでも音をやわらげてあげられるなら、
それだけで楽になるのではないかと思ったからです。

ただ、この「耳が痛い」という言葉は、
中耳炎などの体の不調でも使われることがあります。

もし発熱や耳だれ、強い痛みが続く場合には、
医療機関での診察が必要になることもあります。

ただ、はるの場合はそうした症状ではなく、
音そのものに対するつらさ――いわゆる聴覚過敏の一つとして、
「耳が痛い」「頭も痛い」と感じているようでした。

耳栓を使わせることへの抵抗

正直に言うと、最初は抵抗がありました。

耳をふさいでしまって大丈夫なのか。
カビが生えたりしないのか。
そもそも、子どもに耳栓なんて使わせていいのか。

自分自身が耳栓やヘッドホンを使わないからこそ、
余計に心配になってしまったのだと思います。

それでも、
目の前で「つらい」と感じている様子を見ると、
何かできることはないかと考えずにはいられませんでした。

スポンジの耳栓は合わなかった

最初に使ったのは、よくあるやわらかいスポンジの耳栓でした。

けれど、これは合いませんでした。

入れた瞬間に違和感が強く、
「気持ち悪い」そう言って、はるはすぐに外してしまいました。

私は、ふわふわした感触がはるの痛みを和らげてくれるといいなと思ったのですがダメだったようです。

音は確かに小さくなっているはずなのに、
それとは別の“圧迫されるような不快感”があったのだと思います。

こんな時こそ、本人の感覚を大切にした方がいいと思いましたのでその耳栓は使わなくていいと伝えました。

 

くまの耳栓は「安心」だった

そのあと、ふたりで選んだのが
くまの形をした小さな耳栓でした。

見た目がかわいくて、
「これならつけてもいいかも」とはるが言ったものです。

実際に使ってみると、
こちらは不思議と嫌がりませんでした。

 

ある日、その耳栓をして学校に行ったとき、
お友達に「かわいいね」と声をかけられたことがあったそうです。

その話をしてくれたときのはるの表情は、
少しだけ明るくなっていました。

 

もしかすると、
その「かわいいね」という一言が、
はるの中で何かをやわらかくしたのかもしれません。

 

痛みは「気持ち」にも影響される

耳栓は、ただ音を小さくする道具だと思っていました。

けれどそのとき私は、
それだけではないのかもしれないと感じました。

 

安心できること。
認めてもらえること。
自分で選んだものを身につけているという感覚。

そうしたものが重なったとき、
音のつらさの感じ方そのものが変わることもあるのではないかと。

 

近年の研究でも、
不安がやわらいだり安心感がある状態では、
痛みの感じ方が変化することがあるといわれています。

 

はるにとって、くまの耳栓は
“音を完全に防ぐ道具”というよりも、
「大丈夫」と思えるきっかけのひとつだったのかもしれません。

 

それでも、効かない日がある

実際に感じたのは、こんな違いでした。

  • 耳栓だけで大丈夫な日がある
  • ヘッドホンと組み合わせると楽な日がある
  • それでもつらい日もある

ただし、ここで大事なのは、
耳栓がいつでも有効だったわけではないということです。

 

「これをつけていれば大丈夫」という日もあれば、
それでもつらい日もありました。

 

耳栓だけで落ち着くこともあれば、
ヘッドホンと一緒に使ってやっと楽になることもありました。

そして、どちらを使っても
どうにもならない日もありました。

 

同じ子どもでも、
その日の体調や気持ち、周囲の状況によって、
感じ方は大きく変わります。

 

耳栓とノイズキャンセリングの違い

耳栓は音を“やわらげる”ことはできても、
音の存在そのものを消すわけではありません。

 

一方で、ノイズキャンセリング機能のあるヘッドホンは、
音を打ち消すことで“静けさに近い状態”をつくってくれるものでした。

 

結論:耳栓は「あり」でもあり「なし」でもある

【まとめ】

耳栓は
✔ 音を完全に消すものではない
✔ 状態によって効果が変わる
✔ 安心感を持ち歩くための道具になることもある

その子にとって、

どんな感覚で、どんな気持ちで使えるか。

 

では、栓は効くのか、効かないのか。

 

私の中での答えはこうなりました。

 

耳栓は、
「効くときもあるし、効かないときもある」。

 

そしてもうひとつ。

 

耳栓は、
音を消すための道具というよりも、

「安心を少し持ち歩くための道具」なのかもしれません。

そこまで含めて考えることが、
とても大切なのだと思います。