はるは、今も片方の耳が聞こえていません。
けれど、以前はよくこう言っていました。
「音が痛い」
「うるさい」
「頭が痛い」
「全身が痛い」
「ビリビリする」
「気持ち悪い」
私は最初、とても混乱しました。
聞こえないのに、なぜ音が痛いのだろう。
耳が聞こえないのに、どうして音がうるさいのだろう。
この不思議な現象を、人に説明するのはとても難しいものでした。
でも、調べていくうちに少しずつわかってきたことがあります。
それは、「聞こえる力」と「音をつらく感じること」は、必ずしも同じではないということでした。
聴覚過敏とは、「よく聞こえること」ではない
聴覚過敏は、日常の音を普通より強く、不快に、あるいは痛みとして感じてしまう状態です。
医学的には hyperacusis と呼ばれ、音への耐性が下がった状態として説明されています。Baguley のレビュー論文でも、聴覚過敏は「音に対する耐性の低下」として扱われています。(PubMed)
ここで大切なのは、聴覚過敏は単に「耳がよく聞こえる」という意味ではない、ということです。
音を聞き取る力と、音刺激に耐えられる力は、別のものとして考える必要があります。
たとえば、目が悪くても、光がまぶしくてつらい人がいます。
見えにくさと、まぶしさへの弱さは別です。
それと少し似ているのかもしれません。
同じように、聞こえにくさと、音刺激へのつらさも別に起こることがあります。
耳が聞こえないのに、なぜ音がつらいのか
研究では、聴力低下や内耳からの入力低下があると、脳の聴覚系が音への感度を上げてしまう可能性があると考えられています。
聴覚入力の変化に対して脳の音の感じ方が変わる可能性も指摘されています。
簡単に言うと、耳から入る情報が減ったときに、脳が不足分を補おうとして“音のボリューム”を上げてしまう、というイメージです。
Auerbach らのレビューでは、蝸牛損傷などによる入力低下に対して、中枢聴覚系のゲインが高まることが、耳鳴りや聴覚過敏に関係する可能性が論じられています。(Frontiers)
つまり、
聞こえにくいのに、音刺激はつらい
ということは、決して矛盾ではありません。
耳が拾う音が少なくなっていても、脳や神経がその刺激を強く受け取ってしまうことがあるからです。
私たちは、実はたくさんの音の中で暮らしている
昼間、家の中で目を閉じてみるとします。
すると、いろいろな音に気づきます。
テレビから聞こえるニュース番組。 食洗機の音。
冷蔵庫のブーンという低い音。
洗濯機の音。
道路を走る車の音。
外で鳴く鳥の声。
配達のバイクが近づいてくる音。
風で家がきしむ音。
隣のアパートの鉄の階段を誰かが上っていく音。
遠くのサイレン。 登下校の子供達の声。
庭の木々が風に揺れて、さわさわと鳴る葉擦れの音。
これらは、普段から私たちのまわりにあって同時になっていたりします。
でも、多くの場合、私たちはそれを全部は意識していません。
脳が、必要な音と必要でない音をある程度ふるい分けているからです。
必要な音だけを前に出し、必要でない音は背景に置く。
そうやって、私たちは日常生活を送っています。
けれど、もしその仕分けがうまくいかなかったら。
すべての音が一度に前に出てきたら。
それは、ただ「うるさい」というより、頭も体も処理しきれない状態になるのではないかと思います。
「音が痛い」は比喩だけではない
はるは、「音が痛い」と言いました。
私は最初、その言葉をうまく理解できませんでした。
でも、聴覚過敏について調べると、音を単にうるさく感じるだけでなく、痛みとして感じる人がいることがわかりました。
pain hyperacusis や noxacusis と呼ばれる、音によって身体的な痛みが引き起こされる状態についても報告されています。 StatPearls では、pain hyperacusis は noxacusis と呼ばれることもあり、通常なら痛みを起こさない音によって身体的痛みが生じる状態と説明されています。痛みは耳や顔の周囲に、鋭い・焼けるような・圧迫されるような痛みとして表現されることもある、とされています。(NCBI)
さらに、
Jahn らの論文でも、pain hyperacusis / noxacusis は、多くの人には問題にならない日常音に反応して身体的痛みが起きる状態として扱われています。(PMC)
だから、はるの
「頭が痛い」
「全身が痛い」
「ビリビリする」
「気持ち悪い」
という言葉は、バラバラの訴えではなかったのかもしれません。
音という刺激を、体全体が受け止めきれなくなっていた。
そんなふうに考えると、とても腑に落ちるのです。
はるの変化について
今、はるが「音が痛い」と言う回数は、以前よりずいぶん減りました。
ヘッドホンをつける回数も、以前よりかなり少なくなっています。
ただし、ここは誤解のないように書いておきたいと思います。
聴力が戻ったわけではありません。
今も、はるの聴覚そのものには課題があります。
変わったのは、聞こえるようになったことではなく、聴覚過敏との付き合い方なのだと思います。
成長とともに、自分のつらさを避ける方法が少しずつわかってきたこと。
環境を調整できる場面が増えたこと。
ヘッドホンや静かな場所など、逃げ道を持てるようになったこと。
そうしたことが重なって、以前より苦痛を訴える回数が減ってきたのだと思います。
治った、というより、
つらさとの付き合い方を身につけ、心の安心を少しずつ手にしてきた。
状況だけが軽くなったのではなく、
はるの周りの世界そのものが少しずつ安全になったのかもしれない。
今の私は、そんなふうに受け止めています。
学校や周囲にどう説明すればいいか
もし、学校や周囲に説明するなら、私は今ならこう伝えます。
聞こえにくさがありますが、音刺激にはとても敏感です。
音量の問題だけではなく、脳や体が音を強い刺激として受け取ってしまうことがあります。
そのため、本人にとっては「うるさい」だけでなく、「痛い」「気持ち悪い」「体がつらい」と感じることがあります。
この説明なら、単なるわがままや気にしすぎではなく、感覚の問題として伝えやすいと思います。
最後に
聞こえる。
聞こえない。
その二択だけでは説明できない苦しさがあります。
はるは今も聞こえていません。
けれど、以前より笑って過ごせる時間は増えました。
回復には、ひとつの形だけではないのだと思います。
音が痛い。
全身が痛い。
ビリビリする。
気持ち悪い。
子どもの言葉は、医学用語ではありません。
でも、だからこそ本当の感覚に近いことがあります。
その言葉を、大げさだと片づけないこと。
まず信じてみること。
そこから、子どもを守る道が始まるのだと思います。
はるは今も聞こえていません。
それでも以前より穏やかに過ごせる日が増えました。
聴こえが変わらなくても、生きやすさは変わるのだと思います。
参考文献・参考資料
- Baguley, D. M. “Hyperacusis.” Journal of the Royal Society of Medicine, 2003.
- Tyler, R. S., et al. “A Review of Hyperacusis and Future Directions: Part I. Definitions and Manifestations.” American Journal of Audiology, 2014.
- Pienkowski, M., et al. “A Review of Hyperacusis and Future Directions: Part II. Measurement, Mechanisms, and Treatment.” American Journal of Audiology, 2014.
- Auerbach, B. D., Rodrigues, P. V., & Salvi, R. J. “Central Gain Control in Tinnitus and Hyperacusis.” Frontiers in Neurology, 2014.
- Zeng, F. G. “Tinnitus and Hyperacusis: Central Noise, Gain and Variance.” Current Opinion in Physiology, 2020.
- Jahn, K. N., et al. “Clinical Phenotype and Management of Sound-Induced Pain.” 2024.
- Coey, J. G., et al. “Hyperacusis.” StatPearls, 2023.
※本記事は、保護者としての経験に加え、聴覚過敏に関する医学論文・レビュー論文を参考に執筆しています。症状の判断や治療については、耳鼻咽喉科・小児科・聴覚専門職などの専門家にご相談ください。